パンピー図鑑|小林さん ― 急がず、構えず、今できることを続けてきた

── 鍼灸師として事業を続けてきた、小林 就さんの実例から

この文章は、仕事や人との関わり方をどのように形づくってきたのかを、出来事と言葉を手がかりにたどっていく記録です。

特別な転機や劇的な変化を描くものではありません。

日々の選択や続けてきた姿勢が、どんなふうに今の立ち位置につながっているのかをたどっていきます。


プロフィール

名前:小林 就
活動エリア:東京都内
肩書き:鍼灸師
主な仕事・活動内容
 個人治療院を運営し、鍼灸・整体による施術を行う。
 また、スポーツ現場でのトレーナー活動にも関わり、選手のコンディション調整を担っている。

これまでの経歴・経験
 高校時代の怪我をきっかけに身体のケアに関心を持ち、専門学校へ進学。
 国家資格取得後、整骨院やスポーツトレーナーを中心とした治療院での勤務を経て独立。
 現在は個人での治療を軸に、治療院外の現場にも活動の場を広げている。


体に触れる仕事が、身近にあったこと

彼が「体に触れる仕事」を意識した原点は、将来を考えた結果ではなかった。

幼い頃、母親が人の体に触れ、施術をしている姿を見ていた。

エステ、ネイル、アロマ、リフレクソロジー、形は変わりながらも、母親は長くそうした仕事を続けていた。

「特別なことだとは、思ってなかったですね」

それは仕事として意識する以前に、生活の延長にある光景だった。

当時、自分も同じ道に進むとは考えていなかった。

ただ、人の体に触れること、それによって相手の状態が変わることが、身近なものとして存在していた。

後から振り返ると、「きっかけ」と呼べるほど強い出来事ではない。

ただ、この仕事に進んだあと、思い返される風景として、確かに記憶に残っている。


怪我によって、立ち位置が変わった

高校時代、彼は水泳部で練習を重ねていた。

クロールを中心に泳ぎ込み、右肩を痛めたのは、高校二年生の頃だった。

整骨院にも通ったが、思うように回復することはなかった。

「治してくれるところがなくて。それが、つらかったですね」

痛みそのものよりも、頼れる場所が見つからない感覚の方が、強く残っている。

競技は続けた。

クロールを諦め、背泳ぎに転向することで、泳ぐこと自体は可能になった。

ただ、その切り替えは「前向きな判断」というより、選択肢を一つずつ削っていった結果に近かった。

この怪我をきっかけに、彼の中で立ち位置が少しずつ変わっていく。

自分の体が思うように動かないこと、治療を受けてもはっきりした答えが返ってこないこと。

その経験が、「前に立つ側」ではなく、「体を見る側」へと、視線が変わっていった。


初めて誰かの結果に関わった瞬間

水泳部で部長を務めていた頃、後輩が全国大会に出場することになった。

引率として同行し、同じ部屋で過ごす中で、母親から教わった簡単なマッサージを試してみた。

決して本格的な施術とは言えなかった。

それでも、その後輩は自己ベストを更新した。

「すごい手応えがあった、というより、役に立ったかもしれない、っていう感覚でした」

その瞬間に、強い達成感や高揚感があったわけではない。

ただ、「誰かの結果に関わる側にいる」という感覚が、はっきりと残った。

この出来事が、進路を決める上での一つのきっかけになっていく。


資格取得と、学ぶ環境の話

専門学校に進学してからの目標は、小林さんの中では最初からはっきりしていた。

「国家試験に受かることだけでした」

資格を取らなければ、この仕事は始まらない。
将来どうなりたいかよりも、まずそこを越える必要があった。

学校生活で印象に残っているのは、授業内容そのものより、学ぶときの環境だったという。

試験対策として特別なカリキュラムがあったわけではない。

それでも、自然と仲間同士で集まり、問題を出し合う流れができていた。

「一人にさせない、っていう感じでしたね」

誰かが答えを知っていて、それを説明する役に回る。
別の誰かが、質問する側になる。

そうしたやり取りが、日常の中に組み込まれていた。

彼自身、「教わる」というより、「一緒に受かりにいく」感覚の方が近かったと話す。

振り返ると、この時期に身についていたのは、知識そのもの以上に、一人で抱え込まない姿勢だった。

資格を取ることはゴールではなかったが、一人でやりきろうとしないやり方は、その後の仕事の進め方にも、そのまま残っていくことになる。


開業と、一人で続ける時間

国家資格を取得し、複数の治療院での勤務を経て、彼は独立した。

開業当初は、すべてが一人だった。

施術も、判断も、責任も、その場で決めたことが、すべて自分に返ってくる。

「どうやって消化してたのかは、
正直あんまり覚えてないです」

つらさがなかったわけではない。

ただ、それを言葉にして整理する余裕もなく、目の前の患者と向き合う時間だけが続いていた。

そんな中でも、小林さんは治療院の外に出ることをやめなかった。

横浜に数か月通い、別の治療院の現場に身を置いたこともあった。

その先生は、名前を聞けば分かるような存在だったが、学びの目的は「有名だから」ではなかった

「自分の中にない視点を、確認しに行ってた感じですね」

結果的に、その場所が自分にとって最適だったとは言えなかったという。

それでも、行ってみなければ分からないことがある。
同じ景色が続いていると感じたことも含めて、その時間は無駄ではなかった。

治療院を一人で続けながら、外に出て、他の先生のやり方を見て、自分の立ち位置を確かめる。

「学びに行く」というより、「今の自分で大丈夫か」を確かめに行く時間だったのかもしれない。

振り返っても、この時期に何かを掴んだ実感は、強くは残っていない。

ただ、一人で抱え込む状態から、少しずつ外とつながり続けていたことだけは、はっきりと覚えている。


支える現場で、感情が動いた

治療院の外での仕事が増えたのは、開業してしばらく経ってからだった。

卓球チームの大会に帯同し、選手のコンディションを支える立場で現場に立った。

試合中に意識していたのは、勝敗そのものよりも、怪我の有無だった。

無事に終わるかどうか。
その一点に集中していた。

チームが日本一になったとき、強く残ったのは達成感ではなかった。

「うれしいというより、ほっとした、が一番近いですね」

自分が何かを成し遂げた感覚はない。
前に出たい気持ちもなかった。

ただ、関わってきた時間が、ひとまず途切れずに済んだことに、静かに安堵していた。


これからのこと

治療院を続けながら、彼は今も、先の形を具体的に描いているわけではない。

規模を大きくすることや、人を増やすことについて、はっきりとした計画は持っていない。

「今は、そこまで考えてないですね」

日々の中で意識しているのは、何かを増やすことよりも、今のやり方が無理なく続いているかどうかだ。

忙しさや広がりが、自分の手元から離れていないか。
判断の速さが、雑になっていないか。

そうした感覚を、定期的に確かめながら仕事をしている。

この先、どうなっていくかは分からない。

ただ、決め切らない状態のままでも、仕事は続いている

今はまだ、選択肢を閉じずにいられる位置にいる。
その感覚を保てていることが、ひとつの現在地になっている。


本人から

「全部一人でやろうとしたら、無理だと思います」

彼は、紹介を求めたり、無理に広げたりすることをしない。

自分の施術に集中し、自然に生まれるつながりを大切にしてきた。

「怖くはなかったですね。なんとかなるかな、って」

マイペース。
そう言われることが多いという。

振り返ると、仕事との向き合い方、人との関わり方、感情の扱い方まで、一定の間合いを保ってきたように見える。


編集後記

話を聞いているあいだ、場の空気が大きく揺れることはなかった。
何かを誇示する時間でも、答えを示す場でもない。

出来事は淡々と語られ、言葉は必要以上に膨らまない。
その静けさの中に、続けてきた時間の重みが残っていた。

何かを急いで変えなくても、今いる位置を確かめるだけの時間だったように思う。

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