パンピー図鑑|野口 侑弥 ― “不自然な明るさ”で在り方を変えた『おれなりの覚悟』

── 自分なりの覚悟を抱えながら、鍼灸師として現場に立ち続けてきた、野口侑弥さんの実例から

仕事は続いている。
生活も回っている。

それでも、ふと「このままでいいのだろうか」と思う瞬間がある。

そんな人に向けて。

この記事では、鍼灸師として15年以上現場に立ちながら、院の中と外を行き来してきた彼が、自分との距離を確かめ直してきた時間をたどる。

何かを成し遂げた話でも、答えを見つけた物語でもない。

ただ、一人の実例として、進みながら立ち止まってきた過程を記録していく。


プロフィール

名前: 野口 侑弥(のぐち・ゆうや)
活動エリア: 東京都(三鷹市)
主な仕事・活動内容
鍼灸師として整骨院で臨床に立ちながら、訪問治療や地域の体操教室にも携わる。院内での施術に加え、地域活動や屋外での健康づくりにも関わり、「治す」だけでなく、人との関係性を含めた関わり方を模索し続けている。

これまでの経歴・経験
高校卒業後、鍼灸の専門学校へ進学し、22歳で資格を取得。以降、鍼灸師として現場に立ち続け、25歳で転職を経験。その際に技術不足を痛感し、仕事への向き合い方を見直すきっかけとなった。33歳で離婚を経験し、私生活では大きな揺れを抱える一方、地域活動への参加や体操教室の開催を通じて、院の外で人と関わる時間が増えていく。現在は、鍼灸を「手段のひとつ」と捉えながら、進み続けることと、立ち止まることの間で、自分なりのバランスを探っている。


技術だけでは足りなかった時期

彼は、高校卒業後すぐに鍼灸の専門学校へ進んだ。
四年制大学を受験したものの結果が出ず、三月の終わりに進路を決めたという。

当時を振り返り、こう話す。

「絶対に大学じゃなきゃダメ、という感じでもなかったんです」

野球をしていたこともあり、体を診てもらう機会は多かった。

親戚に鍼灸師がいたこともあり、この道は選択肢のひとつとして身近にあった。

資格を取り、現場に出てからは、とにかく技術を磨くことに意識が向いていた。

25歳で転職した整骨院では、思うように結果が出ない日々が続いた。

少し間を置いて、彼はこう述べている。

「本当に人を治すって、どういうことなんだろうって考えるようになりました」


院の外に出たことで見えたもの

転機になったのは、三、四年前。
地域の体操教室や屋外での活動に関わるようになった頃だった。

それまでは、院の中で患者と向き合う日々。

不調を抱えた人が来て、施術をし、その場で反応が返ってくる。

外に出ると、様子は違った。

体に痛みがなくても、ただ集まってくる人たちがいた。

その違いについて、彼はこう語る。

「先生と患者、というより、もう少しフラットな関係のほうがいいなと思ったんです」

上下ではなく、横。

その感覚が、少しずつ仕事の中に入り込んでいった。


明るく振る舞う、という選択

地域活動を続けるなかで、彼が意識的に選び直したことがある。
それは、技術や肩書き以前の、自分の在り方だった。

少し照れたように、彼はこう話す。

「まずは、明るくいようって決めました」

もともと得意だったわけではない。
むしろ、意識しなければできない側だったという。

「最初は、めちゃくちゃ不自然でした」

自分でもわかるほど、ぎこちなかった。
声のトーンも、表情も、どこか借り物のようで、しっくりこなかった。

それでも、やめなかった。
判断の基準が、自分ではなく、相手のほうにあったからだ。

「自分がどうかより、相手がどう感じるかのほうが大事だったので」

体操教室や地域の場には、治してもらうためではなく、ただ集まり、体を動かし、誰かと話すために来る人もいる。

そうした場では、正しさや専門性よりも、その場に流れる空気が、先に伝わる。

今でも、自然体かと言われれば、そうではない。
意識している感覚は、残っている。

それでも、その選択をしたことで、地域の人とのつながりをより感じられているという。


支えになっていた「外の予定」

33歳のとき、彼は離婚を経験した。
関係が終わると決まってから、すぐに日常が戻ったわけではない。

別居期間は、時間の感覚が曖昧になるような日々だったという。

家に帰っても、気を紛らわせるものは少なかった。
これからどうなるのか、何が正解なのかも、はっきりとは見えなかった。

その頃を振り返り、彼は淡々とこう話している。

「プライベートは、正直かなりしんどかったです」

一人で抱え込めば、立ち止まってしまいそうな時期だった。
けれど、完全に止まることはできなかった。

三鷹市の職員や地域の人たちと決めていた体操教室や屋外活動の予定が、すでに入っていたからだ。

「この日にやる」
「ここで待っている人がいる」

そんな約束が、先に決まっていた。

「ここで止まってられないな、って思いました」

誰かの期待に応えようというよりも、「行かなければならない場所」が外にあったことが、大きかった。

期限があり、役割があり、待っている人がいる。

それは気持ちを奮い立たせるものではなかったが、考えすぎる余白を与えない力はあった。

外に出れば、体を動かす人たちが集まっている。
痛みの相談をされることもあれば、世間話で終わる日もある。
院の中とは違い、「先生」と「患者」という関係性だけではなかった。

「頼られてる、っていうのはありましたね」

離婚という出来事が、すぐに意味づけられたわけではない。

ただ、外の予定が入っていたことで、一日が途切れずにつながっていった。

止まらずに済んだ、という感覚だけが、あとから残った。


鍼灸は、手段のひとつになった

鍼灸師として15年以上、現場に立ち続けてきた。
技術を磨き、数をこなし、求められる役割を果たしてきた。

けれど、彼自身は、いつの間にかこんな感覚を持つようになっていた。

鍼灸は、あくまで手段のひとつかなって感じですね

その言葉には、投げやりさはなかった。

むしろ、長く続けてきたからこそ出てきた距離感だったように思う。

身体の不調がなくても、話をしに来る人がいる。
痛みよりも、生活や人間関係の話を抱えて来院する人がいる。

そうした人たちと向き合うなかで、「治すこと」だけでは届かない場面が増えていった。

技術を高めれば解決する、という単純な話ではない。
施術の前後に交わす言葉、間の取り方、相手との距離。

まずは話を聞くことかなって

鍼灸は、今も大切な軸ではある。
ただ、それ“だけ”にすがらなくなった。

人を診るための選択肢のひとつとして、鍼灸がそこに置かれるようになった。


先のことは、あまり考えていない

将来のビジョンを聞くと、彼は少し言葉を探しながら答えた。

先のことは、あんまり考えてないですね

数年後の目標や、到達点を描くのは、もともと得意ではない。

部活のときも、仕事のときも、意識が向くのはいつも「いま目の前にあること」だった。

その日やるべきことをちゃんとやる、っていう方が性に合ってる

離婚や環境の変化が重なった時期、先のことを考える余裕は、正直ほとんどなかった。

不安が消えたわけではない。
それでも、無理に未来を固めようとはしなかった。

代わりに、今日できることに集中する。
目の前の人と、ちゃんと向き合う。

そうやって積み重ねてきた日々が、気づけば、いまの穏やかな状態につながっていた。


おれなりの覚悟

「覚悟」という言葉を使うと、大きな決断や、人生を賭けた選択を想像してしまうかもしれない。

でも、彼が口にしたのは、もっと静かなものだった。

おれなりの覚悟、って感じですね

何かを断言するわけでも、自分を奮い立たせるわけでもない。

無理に変わろうとしない。
かといって、何もしないわけでもない。

人間関係の苦しさを減らすために、自分ができる範囲の工夫を重ねる。

技術だけで評価されたい気持ちと、人としてどう在るかを大事にしたい気持ちの間で、揺れながら。

それでも、現場に立ち続ける。
今日も人と向き合う。

その積み重ねを、彼は「おれなりの覚悟」と呼んでいた。


本人から

もしこの話が、どこかで立ち止まっている人に届くなら、それだけで十分です。

無理に変わらなくても、続けてきたことの中に、何か残っているかもしれません。


編集後記(インタビュアーより)

話を聞いているあいだ、何かを乗り越えたという感触は、あまりありませんでした。

むしろ、まだ探している途中で、その途中に立ち続けている時間だったように思います。

答えを出すための取材ではなく、今いる場所を、確かめ直す時間だったのかもしれません。

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